2013年6月15日土曜日

2013616日(日)
13:3015:30 自治労とやま会館 3階 中会議室
がれきいらんちゃ!もやされんちゃ!
富山の未来を考える県民大会へ集まれ!!

緊急呼びかけ文

富山を愛しみ、富山の未来と子どもたちに思いを寄せる
全てのみなさまへ

 2011311日に起きた福島原発事故は、日本のこの世の全ての生きとし生けるもの、にとって決して忘れてはならない出来事です。いえ、世界中の人々の歴史に深く刻み込まれた出来事です。
 それは、放射性物質がいかに「危険」であり、事故後の重大な事実が隠され、今もなお多くの国民が犠牲を強いられている現実です。事故によって打ち砕かれた「原発の安全神話」は、いつのまにか「放射線安全神話」にとってかわり、放射線が目に見えないことを良いことに、国民には常に真実が伝えられません。
 「絆」の美名の下、膨大な宣伝費をかけて繰り広げられた「汚染がれきの広域処理」キャンペーンは、全てを「金」で縛る「偽りの絆」でした。
 高岡市で4月26日に始まった放射能汚染がれきの本焼却は、5月30日には新川地区でも実施され、住民は不安と恐怖の日々を送っています。私たち富山県民にとって、辛くて長い苦渋と屈辱の一歩となりました。その現実をしっかりと「怒り」もって再確認しましょう。
今私たちに問われていることは、諦めずに声を上げ続けることです。
高岡市、新川・富山地区広域圏は、がれきの本焼却を直ちに中止して下さい。
全国ではかれこれ2年前に「汚染がれきの広域処理」の問題が持ち上がり、富山においては1年を超える月日を経過し、今月18日、いよいよ最後の富山地区本焼却が予定されています。これまで多くの人たちが様々な活動を連携をもって展開され今日に至っています。その成果として、ここまで本焼却を引き延ばしてきたと思います。。
 今一度、これまでを振り返り、これからのことを共に考えていきましょう。より広範な人々への大会への参加、総結集を呼びかけます。
そして、いざ、18日(火)早朝の立山町クリーンセンター前へ!本焼却の抗議・即時中止の声をあげましょう!!

2013612日          ノーモア放射能とやまネットワーク
                   連絡先:076-442-5215(宮崎)
                       090-7083-8190(道永)

2013年4月1日月曜日

民主主義って何だろう?

 「民主主義って何だろう?」大切で無視できないテーマです。
 震災がれきの広域処理問題が拡大するにともなって、今まで「自治」や「民主主義」とは無縁で生きてこれた人たちが「自治」に関心を持ち、「民主主義」に疑問を抱きはじめています
 私たちは「民主主義は当然あるもの」と思っていたのかもしれません。そして、広域処理問題がおきて、今になってにわかに・・・・、「あれ、民主主義はなかった。おかしいぞ」と感じているのではないでしょうか。
 米国では、民主主義(デモクラシー)は日々の努力と実践なしでは有り得ないという自覚をもっている人が多数です。
 さらに、「民主主義」と「資本主義」は、対立項として捉えられています。つまり、私たちがうかうかしていると「民主主義」は「資本主義」によって乗っ取られてしまう運命にあるということです。
 だから、「民主主義」を維持し、機能させるために活動する「草の根(市民)活動家」は、住民たちから「自分のできないことをしてくれる人たち」として尊敬され、ときには「ヒーロー」とさえ呼ばれることもあります。
 財団などが育てているプロの活動家には、高学歴で大学院を卒業している人もいます。最低でも年間2000万円の収入が保障され、仕事として「民主主義」を持続させるための専門的な活動に従事しています。
 それに対して日本ではどうでしょうか。
 
 私たちは民主主義を維持し、機能させる努力をしてきたでしょうか? 民主主義は選挙制度で実現されると考えてはいませんか? 選挙以外で民主主義の健全なる実践をしたことがありますか? 活動家(アクティビスト)を蔑視して、まちがった認識を継承してこなかったでしょうか? 現在は過去の延長線上にある故に、多くの反省点があって当然でしょう。
 それではどうしたらいいのでしょうか。私たちは「民主主義」を諦めることはできません。どこに「民主主義」のビジョンを求め、再構築をすればいいのでしょうか。
 米国の民主主義(デモクラシー)はヨーロッパと異なり、北米先住民のイロコイ族の母系民主主義がお手本となっています。北米先住民の祖先は、私たちアジア民族の祖先とつながっています。
 母系民主主義の素晴らしいところは、1)弱い立場のものたちを優先すること、2)自治はやりたい人がやるのではなく、やって欲しい人(推薦制)で行うこと、3)話し合いに十分な時間をかけることです。
 この先住民のスピリットは、その後の米国憲法に活かされたということですが、残念ながら私はその辺のことについて詳しくありません。元グリーンピースジャパンの事務局長をしていた星川淳さんが2000年代半ばに出版した『魂の民主主義』に米国憲法と先住民のつながりがよく書かれているので、お薦めします。
 北米先住民の「魂の民主主義」は、私たちに十分に豊かな「民主主義」のイメージを与えてくれます。理想とする「民主主義」の道標になり得ると思います。
 それにしても私たちはまだまだ道の途上です。「魂の民主主義」を目指して、努力と実践を重ねて歩み続けましょう。

2013年3月3日日曜日

ホームページのアドレス

ノーモア放射能とやまネットワークのブログにようこそ!
次はホームページへいってくださいね。
いろんな情報が詰まっていま~す。
来てね。
http://www.toyama-no-more.jp/


2013年2月11日月曜日

十分に寝ていますか?

敬愛する人のひとり、サティシュ・クマールさんが2007年に東京に来たときの講演を収録した本「土と心と社会」を再び開いています。その中に講演会の会場から次のような質問があったことが記されています。

質問:働きすぎという話がありましたが、エコロジストや平和活動家や人権活動家といった人たちも働き過ぎで倒れそうな状況です。どうすればいいのでしょう?

それに対してサティシュさんの返事は・・・・

「私たち環境活動家は量としての時間を、もっと質、時間の質ということに考え方をシフトした方がいいと思います。あのガンディーでさえ、1週間に1日、金曜日を完全な沈黙の日としていました。もちろん環境活動家も一生懸命働くことは大切です。しかし、十分に寝なければなりません。眠るということはスピリチュアルな行為です。

昔、ペルシァの王様がスーフィー教の賢者に質問しました。「教えてください。私がなし得る最も重要な仕事は何であるか」と。賢者は「陛下、できるだけ長く寝なさい」と言いました。「何を言うか、わしは人民のために眠る暇もなくやっているではないか」と王は反論しました。それに対して賢者は、「あなたが眠る時間が長ければ長いほど、圧政は減ります」と。

これは私たち環境活動家にとっても非常にいいアドバイスではないでしょうか?私たちは働くのに応じて、よく寝る。そして、結果にこだわらない。私たちがやっている行為そのものを信じるのです。確かに状況は非常に緊迫しています。その分、私たちはより大きな、寛容な心を持つ必要があります。逆説的と映るかもしれません。しかし、私たちが倒れてしまったら、いったい誰が環境運動を担うのでしょうか。

環境に関心を持ち、行動している人たちは、是非自分自身を大切にしてください。そして、お互いを大切にしましょう。社会を良い方向に変えようとする私たちが助け合って、支え合う。そして、みんなが良いエネルギーに満ちて、元気で、健康でわくわくとしながら事に当たれるようにしなければならないと思います。疲れ果てている環境活動家のやれること、作れる社会というのは大したものではないのです。」

そうだ! 寝よう・・・、みなさん、おやすみなさ~い。

2013年2月9日土曜日

個人的変遷の違いを認め合おう

 今、私たちはこれまでの人生で得た経験をもとに、さまざまな動機付けから運動に積極的に参加しています。それはなんてすばらしいことでしょう。

 個々の動機付けは異なっていても、このような社会活動に参加することで、それぞれが新たに個人的な変遷の段階を経験していくことになります。

 そして私たちの運動を実り豊かなものとするためには、それぞれが違う段階にいるということを理解しなければなりません。私はこれが組織(団体)をつくるにあたっての最重要ポイントだと考えています。

 反対に多くの組織(団体)は、参加者全員に同じ段階であることを求めはじめたときに崩れ出すと言えます。

 参加者のなかには、一番有効と考える方法で行動を起す準備ができていても、他の人たちはまだ十分にそれを理解できずに、「何故こんな簡単なことが分からないのか」と言われて行動が萎縮している人がいるかもしれません。

 参加者のなかには、いろんな人がいて、多様な個人的変遷のなかにそれぞれがいます。

 放射性物質の拡散を止めるには、常に新しい人の参加が必要です。私たちの活動努力は学習からアクション、そして希望する未来の獲得へとつながるものでなければなりません。また個人的な怒りから組織された力へと展開できるようにリードしなければなりません。

 そのためには参加者それぞれの個人的変遷の違いを理解し、認め合いましょう。私たちのネットワークは、そのことを大切にして活動したいと思います。

2013年2月3日日曜日

「ノーモア」に祈りと決意を込めて

 ネットワークの名前について考えている。「ノーモア放射能」と聞いて、人は何をイマジネーションするのだろうかと・・・・・

 よく耳にする「ノーモア広島・長崎」  では、「~は二度とくりかえさない」「~はもうたくさんだ」という意味で "NO MORE" が使われている。当然、「ノーモア放射能」においても同じ意味なのだが、その命名は今日の私たちを脅かしつつある【放射能安全神話】を意識してのことであった。

 大方の御用学者の方々は、「すでに私たちのまわりには放射能がたくさんあります。だから少々放射能が環境中に増えても大丈夫です」というような結論めいたことを話す。でも、それを聞いてもなんか腑に落ちない。直感で「ヘンだな~」と思った。

 「ノーモア放射能」のキャンペーン開始宣言文(2012年2月14日発表)の中に、以下の文章が含まれていた。

 「見えない放射能はすでにたくさん私たちのまわりに存在しています。自然放射能、核実験に由来する放射能、スリーマイルやチェルノブイリ原発事故で放出された放射能など・・・。それらに加えて、福島第一原発事故の大事故に由来した大量の放射性物質の降下。食品に入り込んだ放射能。人類が管理できない放射能が私たちの生活空間に大量に放たれています。ただそれは見えないだけなのです。
 もう私たちは十分です。これ以上の放射能はいりません。
 子を生み育て、命をつなぐ環境が放射能で破壊され、地球上に命が誕生してから続いてきた生命維持活動が機能不全となる未来を、子や孫、その後に続く世代に残すことはできません。」

 このキャンペーン開始宣言文を書いたとき、漠然とした不安があったが、今はその不安が解消されずに、さらに拡大してきている。

 「ノーモア」の言葉の響きは、「祈り」に近いものだったかもしれない。しかし、今、その言葉の響きは、私が出合った多くの広島・長崎原爆被害者の力強い「決意」に連なっていくのだ。忘れることができない彼らの決意を今一度、私は「ノーモア」に込めたいと思う。

ノーモア 広島
ノーモア 長崎
ノーモア ビキニ
ノーモア スリーマイル
ノーモア チェルノブイリ
ノーモア 福島
ノーモア 被爆者
ノーモア 被曝労働者
ノーモア 核兵器
ノーモア 核実験
ノーモア 原発
ノーモア 放射能

2013年1月30日水曜日

再び岩手県山田町について・・・

 震災がれき問題がなければ、岩手県の山田町を身近に感じることなど無かっただろう。不思議な縁でつながって、昨年の夏には山田町を慰霊とがれきの実態調査を目的に訪問した。

 そして今、私たちは山田町のために何ができるのかを考えている。震災がれきの受け入れではなく、本当の意味で私たちがやりたい復興支援、心と心がつながる何かをしたいと思う。そのためのグループを作りたいと考える人も出てきている。その心の動きはとても自然で、ぜひ実現してほしいと思った。

 そのため、私は「山田の子どもたちの夢を育む会」の代表をしている亀田さんに電話をして、「私たちが山田町の子どもたちのためにできることはないか」「山田町の復興のために何ができるのか」について尋ねた。

 まず彼女は私に「山田の子どもたちの夢を育む会」の活動について説明してくれた。その活動は、1)仮設住宅に住んでいる山田の子どもたちの学習支援、2)子どもたちに「夢」を描いてもらってビンに詰めて「海」に流す(昨年の8月15日に第一回目を実施)、3)「夢」を「海」に流すアイデアのもとになった映画『黒潮物語』の上映会などということだ。さらに、太陽光発電や小水力発電などを山田町に設置するアイデアもあたためているらしい。

 彼女は「富山からメッセージを送ってくれれば、山田町で展示することもできるかも・・・」と提案してくれた。そう言えば、昨年の夏に山田町役場を訪問したときに、立山の美しい写真集を町民課の関さんにプレゼントしたが、あれは山田町役場のどこかに展示されているのだろうか。そのことを彼女に話したら、さっそく「今度、役場でその写真集があるか聞いてみる」と応えてくれた。

 彼女の話を聞いていて、ふっと思った。支援というわけではないが、富山のことを山田の人に知ってもらうために、絵や写真などをメッセージとともに送って、山田の人の手でそれらを展示してもらうのも、交流の第一歩としていいかもしれないと思った。

 亀田さんの地道な活動を支え、さらに山田の人たちとも顔の見える交流ができればいいな~。これも何かの縁でつながったこと。大切にしていきたい。